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2008年 10月 13日
HPの方にも書いたのですが。
M3では多数の方に手にとっていただき、ありがとうございました。 ちょっぴり達成感はありました。 ゲームはできてませんがw 今後とも、楽士Rengokuともどもよろしくお願いいたします~。 #
by nsrelated
| 2008-10-13 23:35
2008年 10月 05日
![]() M3秋、出ます。 『Sentence of Nights』/Rengoku うちの楽士がやってくれました!! なんか、告知してたのとタイトルが違うような……(^_^;) いや、気にしない! 内容は一貫してますので~。許して~。 ディープ_アシッド_テクノ。です。 試聴もできるので、どぞ~。↓ 制作物のページ『Sentence of Nights』 ノベル・システム本体のページ <HP作ってました。……と。 #
by nsrelated
| 2008-10-05 08:21
2008年 09月 12日
思えば僕らが慣れ親しんできた主にサブカルチャーなんて呼ばれてたものは、物語の終わり方に対する闘争の歴史だったりするのかなぁと思う。80年代なんて、世界は滅ぶ的な物語が主流で、なんだってあんなに視聴者を脅すような設定の話ばっかり量産されたんだろう、でまたそれをこっちも喜んで受け入れてたのかな、と考えたりする。おそらく、ある種の仮想された終末が必要だったんだろう、とひとまずは言える。ノストラ(ryさんや、オウm(ry事件もそういう空気を背景に展開された現象で、僕なんかは伝説のゲーメスト(ryなんかを読みながら、ちょっと引いた感じでそれを見ていた……と思ったらけっこう影響されていたってクチじゃないかなーと分析したりする。
いつか終焉するシステムは、少なくてもその可能性を宿したシステムは、人々を引き込む。でも、それだけじゃ人の持っている愛着する部分や、継続=安定を求める心象は満足できない。システムの投げ売りと、それを消費するだけの神話学は不完全だろう。たぶん、巧妙にできている点はそれをメタレベルで補完する回路ってのがあって、僕らはそれに囲まれることで安心して物語を享受できているってことだろうと思う。ここ十年のライトノベルの役割もそういうものだったと思う。これはちゃんと商売になるし、いい面もある。と、システムの内部にいる人は判断するはずだ。例えば今僕はニコ動にはまっているわけだけど(正確には初音ミクを中心とするボーカロイド・個人的な嗜好では鏡音リンも好きですが(ぇ。。)、それをいいシステムだと僕自身判断しているわけで、だから動画投稿なんかもしてしまうわけです。 メタシステムの存在自体は悪いことじゃない……一足飛びに言っちゃうとそういう結論になる。そういうのなしでやっていくのは無理だと思う。早い話が、「大きな物語」は健在だし、そういうのがあった方がいいと言い切っちゃった方がいいかなぁということ。むしろ探求すべきなのは、メタシステム探索の条件を意識することであり、それを共有するためのシステムを構築すること。そのために、どういった人間同士のやりとりがあるのかなって考えることだと思う。 #
by nsrelated
| 2008-09-12 01:48
2008年 07月 29日
![]() 寝て起きるとすでに正午近く。 ただ、この日はひたすら遠くへ行きたい気分だった。 ![]() 東京は雨。 空がひたすらきれいで、街は近づきがたい感じだった。 ![]() ある程度距離があるのは、悪いことじゃないのだろう。 再会するたびに忘れかけた感覚が戻ってくる。 ![]() 見えない壁はずっと同じように目の前にある。 越えられない現実分岐線。 #
by nsrelated
| 2008-07-29 02:43
2008年 07月 28日
前のエントリで書いた中野剛志氏は隔月誌『表現者』で連載を持っている方なのですが、先月の話はとてもおもしろくて、独特の形での世代論でした。
は・ど・うはまずいだろー(笑)と突っ込まずにはいられないタイトルから、本文では一転して本質的な議論へ。おもしろすぎる。中野さん。 ただ、内容は本当に深刻。同じ雑誌の別の筆者たちがサブプライム・ローン問題を金融資本主義の基盤の脆弱さや、マネタリズム(拝金主義)、余剰資金による偽装バブル、金融管理技術の限界等々で説明しているのに対して、筆者はより本質的な構造変化が起きているのではないかと指摘する。詳しくは本文に譲りたいが、実体経済自体に変化が起こっているとする筆者の見解は今後のスタンダードになっていくものと思われる。 まあ、それはあまりにも当然のことなので、本論考はここから景気循環の妖しい仮説、いわゆる”コンドラチェフの波”なる議論の話に一気に舵を切る。この仮説、約五十年の周期をもって景気の谷が周期的にやってくるとするものだが、あまりにも実証しがたい思いつきの説のように感じられ、誰もがこの議論の展開には意表を突かれるだろう。(正直僕も「え?」ってなった。五十年は……トンデモっぽいでしょ^^;) しかし、中野さんはけっこうマジメで、というのも、この説を支持できるある根拠があるというのだ。 それが世代論だ。世代論はここ最近急速に力を持つようになった議論で、特に二十代三十代の人たちが発言力を持ってきて(ご老人たちの発言力が低下するに従って)、注目を集めるようになった。おそらく年上の顔色ばかり窺っていた人たちが、自分より年下の人数が増えて無視できない勢力になったときに、はたと耳慣れない意見が多いことに気づいたことが人口に膾炙したきっかけじゃないかと思う。同時に、若い人自身が自分の置かれた状況を世代論的に説明することが多かったので、世代論的に言うとw青・壮・老、全員の利害が一致したのだろう。(いや、老の人はとりあえず流行に飛びつきやすいということで。よくわかってなくても権威で押し切れると思ってる人がほぼ十割じゃない?) さて、この波の説から導かれる中野さんの仮説によると、これからの日本はどん底へ向かっていくことになる。(←こういう分析のときにナショナリズムを使えると便利ですヨ[ex."日本"]。ネイションとステイトの区分はしっかりとね。)要約して言うと、旧世代〈オールドタイプ〉の人たちの世界観が現実に適合しなくなり、間違った処方箋を出しまくった時期を長年過ごしてきたため、不況を克服できないから。世界観を更新する新しい世代〈ニュータイプ〉が力を持ち、考え方の枠組み=パラダイムを正しい・現実に適合したものに変更するまで、この状況は改善されないという。 じゃあ、僕たちの世代でそれがなされるかというとちょっと無理っぽくて、ニュータイプは平成生まれ以降の人になるらしい。
かなり悲観的な分析。物語的に言うなら、とにかく伏線を張っておく時期とでも言えるでしょうか。やっぱり追い詰められてからの逆転が物語を熱くするのは間違いないですからね~。 さて、もう一人の思想家なんですが、名前を出しておくと福嶋亮大(ふくしま・りょうた)さんです。 彼も世代論に反応していて……基本的には物語論を展開している人で、世代論については反(アンチ)というか無(そんなもの効力を持たない)派に属していると思うんですが、彼の展開する議論もとてもおもしろいのです。 いわゆるポストモダン派の後継っぽい語り口でありながら、そこには煌めくものがある気がします。普遍性に向かう力強さというか、今の現実を"自分たち"という特殊性にどう落とし込むかという(普遍的な)実験性というか。ブログ・仮想算術の世界から彼の苦闘を辿ることができます。(『ユリイカ』に連載も持っているそうです。興味のある方はぜひ) 次回はそこらへんについて書きたいと思います。 #
by nsrelated
| 2008-07-28 01:37
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